asobiの時間
人の心は不思議の塊。エニアグラムに基づいて、タイプ3の『私』から見た人間観察と呟き・・・自己中女の戯言日記w
禍根
参りました。
仕事場で、腹心の前で、愚かにも、切れてしまいました。

以前、私が興味を持ち、親しくしていた男性D。
時は流れ、互いの関心は、ほどほどに薄れ、だけど、何かがあったなら話に訪れる。
T1w2のこの彼とは、一生付き合える友人になったと思っていました。

それが突然、会うたびに、ちりちりと私を否定するようになりました。
心根に、悪意が潜んでいることを見せながら、意地の悪いことを言う。
反応するもんか、と思う負けん気で、しらっとした風を保つ私に、より、攻撃的な言葉を繋げる。
それが数回繰り返される間に、私の中には、嫌悪が育ち、彼を避けるようになりました。
なのに、遠ざかっていようとする私を、無理やり自分の傍に座らせ、嫌味なことを言う。悪質です。

なぜ?と理由を、私の行いの中に考えてみても、今回ばかりは、見つけ出せません。
で・・・先週末、幾度目かのカチンと来たあとに、切れました。

「もう話したくない。出て行ってくれ、二度と顔を見せないで」 と言う私に、
引っかかったw・・・とでも言いたげな好戦的な顔で、再び、言葉を投げつけてくる。

「うるさい。もう、聞きたくない」 と、目の前にあるものを、手に取り投げつけたあとは、
二人を宥めようと間に入った人たちも巻き込み、最終的には、
私を守ろうとしてくれた男性と、Dとの取っ組み合いにまで発展しました。

もう、時系列すら、わかりません。
すべてが終ったあと、私は、興奮冷めやらぬまま、残った人たちに腹立ちを呟きましたが、
言った内容も、覚えていません。

私は、このとき、被害者たる自分に、自信を持っていました。

けれど、週が明けて、腹心の1人に、言われました。
私が、あのとき、言ったことの中に、部下に対する不信が覗いていたこと。
その部下を、私が、人の目前で、貶めたこと。

ああ・・・
Dからの攻撃の裏側に、私は、その部下との繋がりを疑っていました。
Dが、彼女と惹き合っていることを気付いていましたから、
突然の変貌の理由を、彼女の言動だと、邪推していたのです。
それをそのまま、切れた私は、言ってしまったらしいのです。

取り返しのつかないことをしました。

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エニアグラムを知ってから、
喜怒哀楽の感情を、非効率だからと取り払い、速やかな進行を図る自分を自覚しました。

確かに、私は、感情で意見する人を軽蔑するし、厭います。
だから、自分は、なりたくない。
そのように努めながら、大人になってきました。

けれど、それで人間らしい人間関係が築けてきたのか?
私と呼ばれる私は、私らしく生きているのか?・・・否だと思いました。

本音を、目的達成の前に遠ざけてしまうから、私は、私の本音にすら気付けない。
その目的を変えるまで、自分が本当は、何をどう感じていたのかが、わからない。
残るのは、次の目的の前に、自分をコーティングする私と、
通り過ぎてしまった後には、自分が何であったのかがわからない、何も残していない過去の自分。

次、次、次・・・と進んでいくことしかできない自分が、
結局、満足を手に入れてない現実を思い、このまま歳を経ることに、不安を感じました。

感情を身近に置こう。
そう努めてきた数年間でした。

けど、その結果が、これ?・・・今、私は、迷っています。
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年明け
新年、明けて昨年の正月に書いた『平凡』を読み返し、
あの頃は、心を死なせていたなぁ、と思う。

継続することと築くということに価値を置き、変わってはいけないと自分に言い聞かせるように、
幸せのパーツは持っている、と言い張っている。
幸せ、と書いてはいるが、何かと戦っているみたいで、我ながら痛々しい。

仕事のこと、家庭のこと、私の生き方のこと、生きているということ。
あの頃の私は、全方向に、もがき苦しんでいた。

持っていたのは、安心と信頼、それに、評価。
このまま生活していけば、確実に今よりも豊かになることが約束されている、安定した生活。

それらは、私が望んだものであったはずで、それを評価されていて、
手の内から逃すには、あまりに惜しい。

その執着心が、私を縛っていたのだと思う。

足りてなかったのは執着などしなくても、その生活は壊れないということへの自信だったと思う。
それらは、生まれながらにして私が持っているものだと言うのに、私は、そのことに安心を感じられなかった。
いい私、望まれる私、評価を受けいる私であってこそ、ご褒美を受ける資格がある、と、
そのような思い込みが、私の心を縛っていた。

あるがままの私であって良い。
たとえ愚かでも、くだらなくても、私は何も失わない。私は私のままでいい。

あるがままの自分を受け入れなかったのは、私自身であって、人じゃない。

それを認知できたのは、私が私を裏切って、
既存の平穏な生活を破って、別居婚というスタイルを選んだからであり。
それが実現できた背景には、父と同じタイプであるT7の人が、
父の言うであろう言葉を、私に代弁し続けてくれたおかげがある。

1年1年、私の性格は変わらないけど、私は変わっていく。
だから、生きることは、面白い。
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打破
別居婚はじめました。

一人の快適な空間を得て、思います。
なぜ、常に人の中に存在して、しがらまれる生活を平和や幸せだと思ってきたのか、と。

いえ、生きている限り、人との関わりは失くせません。
けどだからって、生活のすべてを、人と関わることに費やしては、
私の場合は、いけなかったのだ、と思います。
なぜなら、それを大切にし過ぎてしまうから。
人のニーズを読むことを中心において、自分を見失ってしまうから、です。

自分の為の人生よ、と胸を張って言える私になりたいと思います。

その為には、大儀を重んじ、人からの共感を得たいと思う欲求を。
有用でないこと。評価を受けないこと。
それらを恐れる、T3の囚われを打破しなくてはいけません。

他が為が、自分の為。

そういう自分でありたい、と願った私が私を縛り、
なのに、他が為に尽くしても、満足を探せずにいたから、
精神も行動も、複雑怪奇に混迷してしまったのです。

自分の心や感性を封じこめ、他に寄り添うふりをしてきたから、満足できなかったのです。
そして、どこかに、常に嘘を抱えることになって、またそれに窮屈を感じてきたのです。

私は、嘘が嫌いです。
正直に、堂々と、健やかに生きたい。

自分の為に、生きたい。
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前進
自分が勝手に掛けてた見えないチェーンを外したら、
心は、自由に羽ばたいて、
心とカラダ両方から、重苦しい何かが抜けていくよう。

だけど、今あるものの輝きが失せる。
それはそこに置いたまま、
もっともっと大きなものが欲しくなる。

作り上げた環境と、そこに生きる為に作った価値観。
それらの嘘に気づきだし。
何が、本当だったのかがわからなくもなる。

欲深き演技者の今は、どんどん変化していくけれども。
変化に伴い、過去の真意や真実が、見出せなくなるごとに、
今このときですら、未来から見たら、真実ではないのではないか、と。
不毛な不安も、ちらり、顔を覗かせる。

だけど、未来に生じるだろう葛藤を前に、躊躇していたら、
これまでと同じように、過去の自分にしがらまられるだけだ。

だから、今を、できるだけきらきらと生きて。
今を積み重ねていくことしか、私には、できない。

ようやく前進が始まった。
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勝手
自らを《不向きな環境》に置いていた、
というストレスの原因を認知した上で、さて、その次は、
なぜ、そのような環境に身を置くことを決めたのか・・・と考えてみる。

効率よく、お金を稼ぎたい。
今持ってるもの、形成したもの
(家族や環境)を壊さずに、そのまま保ちたい。

その為に、既に自分の行動パターンを認知している私は、
借金や、自分が立ち上げた組織や、
そこにいるからこそ築かれる人間関係などなど、
自分を主体に置きつつも、
何本もの見えないチェーンを自らつなげて、
・・・簡単に、転身を図れないように縛りつけた、のだと思う。

ある意味、それも自分にとっては、
違う生き方をしたいという欲求の元、定めたチャレンジなわけで。
見えないチェーンに縛られながらも、その線上で、
動けるだけは動いて、それなりの成果は出してきたわけだから、
傍目に見れば、活動的だったのかもしれないけれど。

視点は、じっと、地面だけを見つめ、
思考は、地面から足を離さないことを前提に巡らせていた。

自由に空に飛び立てない自分。
そのように自分を定めておいて、
その裏側で、退屈を誤魔化そうと、何かを求める。
けど、ホンモノは見つからない。
幾ら、つかの間の自由を楽しんでみても、
募るのは・・・満たされない思い。枯渇する心。

それが、表舞台に綺麗に揃えたはずの、幸せの絵をくすませるのを、
・・・足りないものなどないはずなのに、何を贅沢を言っているの。
我がままが過ぎるでしょ。・・・とこそり自分で戒める。

求め続けているのは、自由。
なのに自分で、その自由を奪うのは、
守るものを守る為、という建前の元の自己保身。
欲しかったのは、社会と家族からの評価と尊敬と信頼。
欲しくなかったのは、私への失望と軽蔑。

自分、自分、自分
・・・すべての中心にあるのは、結局、自分のことばかり。

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幾ら、自分を手前勝手な人間だと、
真から、自己愛のみを追及してばかりの、
他に対しては、愛なき無責任な人間なのだと、
ここで、明らかにしたとしても、
私の現実には、手を離しちゃいけないものが、たくさんある。

ならば、このままを受け入れていくのが、
本来あるべき選択なんだろうけれど、それじゃ私自身が潰れてしまう。

私の夢は、死を迎えるそのときに、
『私の人生、まぁまぁだったんじゃないの?』 と笑うこと。
私の死の傍らに立つ人たちが、
『好きなことばかりしやがって。ホント美遊は幸せだったよな』 と笑われること。

今の環境を、自らの手で遺棄するつもりなど、さらさらない。
ただ、地面に自分を縛りつけ、目を塞いで、
誤魔化し続けてきた、これまでのままではいたくない。

私が、自分を収めてきた間に、
幼きものは、大きく育った。
チカラ足りなかったものたちは、立場と安定を手に入れた。
そろそろ舞台の構成を、少しばかりは、
変えてもいい時期を、迎えたんじゃないかと思う。

これからは、私の手足を、もっと自由に伸ばしたい。
それで壊れるものがあったとしたなら、
それが私の力量、器の限界・・・私の現実だったということで。
私を見限り、失望し、巣立ってくれたら、いいんだから。

誠に勝手ながら・・・は相変わらず。
「お前は何でも、先頭で旗を振ってしまうから、
要らない苦労をするんだよ。ったく不器用なヤツだよなぁ・・・」
学生時代に私を嘆いた父の言葉も、相変わらず・・・今も適用。
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原因

タイプ3にとって不向きな環境

不向きな環境には、発展の余地が限られている仕事がある。また、尊敬されない仕事、そしてタイプ3の交際範囲に反するイメージの職業全般である。創造性豊かな仕事でも、製品が出来上がるまでに自己反省や試行錯誤が必要なものは不得手である。タイプ3は、小説家よりもジャーナリストであり、一作品を完成させるのに何ヶ月も要する本格的な画家よりも、雑誌のアートディレクターなのである。
新 エニアグラム / ヘレン パーマー



私が、なぜ今、これほど苦しんでいるのか。
既に持ちうる環境や社会的背景に、満足を得られないのか。
『生きている』 という体感を持ち得ることができないのか。

やっと、気づくことができた。

閉塞感のある、発展の見込めない、尊敬に値しない職業を、
今、それが一番、簡単に収益を見込めるから、という理由だけで選んだ。
その業績が、好調であったときには、優越感と共に保てた自尊心が、
業績低下と共に下がり始め、逆に、自意識ばかりが高まったがために、
徐々に、人を寄せ付けなくなっていった。

その仕事から、逃げてはいけない。継続しなくてはいけない。
という意識的な囚われが、私の思考を縛りつけ、視野を狭めさせた。

「頑張らねば」「成功に導かなければ」と決意や意思表明を
繰り返しながら、上げられない業績が、
私の気力を失わせ、疲労感ばかりを高め、活動を鈍らせた。

私にとって、その仕事は・・・
こんな言い方をしたら、他の人には申し訳ないけれど。

片手間程度で、簡単に収益を上げられる。
私という人間の商品価値で、さらりと悠々やり遂げられる。
・・・その程度のものだと位置づけて始めたものだった。

私が、必死になって、自分を掛けるなど、とんでもない。
尊敬を勝ち得ない、大きな発展の望めない、ちっぽけな仕事を、
自分の中で、逃れられないほどの大きな存在にしてしまったこと。
『仕事=自分』 というワーカーホーリック傾向があるために、
私という人間を、その仕事自体に乗り移らせてしまったこと。

それが、私の葛藤の抜本的な原因。
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個人
エニアの悪い効能として、同じタイプの人間を、
同じカテゴリーに押し込めてしまう点が、あげられる。

不実を感じて、絶縁を決めたT2の友人と、
信頼するに足る精神と行動を見せてくれている同タイプの友人とを同一視して、
一瞬ではあったものの、警戒を高め不安を感じた自分を見て、そう思った。

タイプに優劣などはなく、健全であれば素晴らしく、
不健全であれば恐ろしいということは、頭ではわかっているものの、
人を見るときに働くエニアの目が、勝手に行動の動機を読み取ってしまう。

《エニアに例外はない》
一見しては違う行動にも、その根底には、
同じ動機が、隠されているものだから・・・。
自分に向けられる行動の、好ましい好ましくないという現実に、
素直に向き合いにくくなってしまう。

けれども、その動機は、同じ 『欲望』 であったとしても、
私を喜ばせることを、自分も満たす欲望と位置づけている人と、
私を欺き、自分の欲望を満たすことのみ考えている人とを、混同してしまっては・・・。
それは、絶対的な間違いであるし、
想いをかけてくれている人に対しては、あまりにも申し訳ない。

人をカテゴライズして、その人を知った気になること。決め付けること。
それは、効率よく人間を見極め、安全を図るのには役立つけれど、
予断を抱いて人を見て、現実的ではない判断を下してしまうことにもなりかねない。

だけど、一つのタイプの悪い見本を見てしまった後に、
自然、生じるそのタイプへの嫌悪感や警戒心と、どう向き合ったらいいのだろう。

《人は皆、違うもの》
エニアを離れて、人の実際を見なくちゃいけないときもある、ってことかな。

これまでは、おおよそタイプを把握して、
危険をやんわりと遠ざけながら、適材適所に置き、
付き合い方を決めればいいだけだった、希薄な人間関係が、
変わり始めているということなんだろな。

エニアがあろうがなかろうが、結局、同じ方向を指している。
・・・私が深めなくてはいけないのは、個との関わり。
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不実
4年の付き合いのT2の友人を、裏切りを感じて切った。

《裏切り》 と感じたのは、事実とは違うことを、
「俺を信じろ」 と、故意に私に信じ込ませたこと。
と同時に、自分の言葉を私に信じ込ませる為に、
私のテリトリー内で、私の身内に、自分の為に嘘を付けと押し付けたこと。
その同日、私の信頼を利用して、何食わぬ顔で借金までして帰った。

《私》 の社会を、我が物顔で犯そうとした。
《私》 のテリトリー、身内の前で、私を侮辱した。
《私》 の寄せた信頼を、自分の欲望の為に利用した。

たった1日の間に、これだけ揃えば、もう十分。
すべてが白日の下に明かされた旨をメールで伝え、
彼の行動の間違いを指摘して、借金の返済と今後の絶縁を申し渡した。
レスポンスがあったが内容は無視して、再び、口座を記したメールを送った。

これが、ソーシャル型である自分を押さえ、
自己保存とセクシャルを強めて行った、一つ目の作業となった。

最後に来た本能は、一番活性化していない本能なので、
そこをもう少し活性化させると、
バランスのとれた人物像に近づくと言われています。

一番優位の本能の型がわかったところで、
今度は一番下位の本能に注目してください。
一番優位の本能、2番目の本能、3番目の本能と層を成しているそうですが、
もし一番下位の本能の型が、自己保存なら、
あなたは、食べ物や睡眠に十分気をくばらない傾向があります。
外的環境に多くの関心を払わないので、
経済的なことにも関心が低いことが多いようです。
そのため、キャリアや社会生活などにも影響がでることもあります。

もし一番下位の型が、ソーシャルなら、
コミュニティーなどに対する決まりごとなどに従うのをよしとしません。
所属する団体を特に必要としない傾向があり、
同僚や仲間から誤解を受けることもあるでしょう。

もし一番下位の型が、セクシャルなら、
夢中になれるものを探すのに困ることがあります。
精神的、肉体的親密さという点で、問題が起こる傾向があります。
表面的なつきあいはできても、本当の意味での深いつながりができにくいのです。
Specialthanks coo


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本能

 生得衝動(本能)によるタイプ
【自己保存型】
生存欲求が強く、自己保存型は、、お金・食べ物・住居・健康・身体的は安全、快適さに関心を抱く。
安全であり、身体的に快適であることが、何よりも優先する。
この人達は、貧弱な照明とか座り心地の悪い椅子、あるいは室内温度に不満があるなど、部屋の中に問題があれば、どんなことにでもすぐに気づく。
食べ物や飲み物に関した問題を抱えることが多く、厳しく律する。
基本的な生活必需品、請求書の支払い、家庭と仕事の維持等を大事にするという意味で、最も実際的な人達である。
要約すればエニアタイプがどうであれ、自己保存型は、自分個人としての安全と身体的な快適さを高めることに関心が集中する。

【社会型】
この人達は、他者との交流と、集団的な活動に自分が加わることで得られる価値感や尊敬の影響に関心を集中させる。
集団的な活動には、宗教・家族・趣味・クラブ等、基本的には社会的なタイプが何か共通の目的で他者と交流することができるありとあらゆる領域が含まれる。

この行動の底に流れる本能は人として重要なものだった。人間は、独力では力弱く、攻撃を受けやすいので、共に生き共に働くことで、繁栄するために必要な安全を作り出した。
中でも重要なのは、階層的な社会構造の中で「位置(立場)」と理解することである。
したがって、注目、商人、名誉、成功、名声、統率力、評価、所属による安全などへの欲求は、全て社会的本能発露とみて良い。
社会型の人は、自分の周りで起きていることを知りたがるし人間の営みに何かしら貢献したい。自分自身の文化に纏わる行事や活動に関心があり、時に異文化を楽しむが、親密になろうとしない。
要約すれば、エニアグラムのタイプがどうであれ、社会タイプは個人の価値感、達成感、他者との間での安全な「立場」を築けるように人と交流することに関心を集中させる。

【セクシャル(性的)型】
性的本能と言えば、「性的に魅力がある人」と誤解を招くが、その限りではない。勿論、性的に魅力のある人も多々存在する。
このタイプは、性的体験に限らず、同じような「性的興奮」が得られる強烈さを求める傾向がある。
こういった強烈さは、熱心な話し合いやワクワクする映画の中にも見ることができる。関心はある程度の人数のグループではなく、一対一の個人に向けられ好むことが多い。
他者との接触と強烈さと親密さへの欲求が強い。本能の3つの型の中では、「親密中毒」であり、自分を夢中にさせた人か物に心を奪われたら、差し迫った義務を無視するし、基本的な生計維持すらも顧みないことがある。
要約すると、エニアグラムのタイプが何であれ。セクシャル型は「生きている」という強い感覚を自分に与えるために、他者とも環境とも熱烈で親密な交流と体験を持つことに関心を集中させる。
性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム / ドン・リチャード リソ、ラス ハドソン 他
Specialthanks nao


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再開
自分の精神世界の中にあるのに
自分一人では、手の届かなかったブラックホール。
その圧の高さに、吸い寄せられ影響を受けていることは確実と
認知はしているのに、それから解き放たれるには至らず、
無為にしがらみ、混沌を深めていた私に、脱出の途が授けられた。
エニアグラムには、そんな想いがある。

再びエニアを介して、
自分や他者と真摯に向き合いたいと思う。
と考えただけで・・・うんざりしちゃう自分がいるのだけれど(苦笑

要らない記事を削除しようと、過去分を読み返していて、
昨年中の自己開示と分析の苦しみを、再び、かみ締めることになった。
気づきと学びを得るたびに、喜びながら、憂鬱に絡み取られるという、稀有な数ヶ月。
思い出せば、うんざりするばかり・・・なんだけど。
だけど、そのおかげで、裏腹ばかりだった私が、かなりシンプルになった。
その影響で私の環境もシンプルになり、ストレスが軽減化されている。
確実に、昨年までの自分とは、変わってることを体感してる。

だけどほら、私は 《達成する人》 T3だからね。
いつまでも、同じところに留まっていちゃ退屈。
・・・ここからもう一段、階段を上りたくなったみたい、ね。(苦笑
今、私は、再び、何かを感じ初めた。

もうとっくに知っている自分
・・・自分の選び方、進め方、やり方の
動機や発想の原点、その原点を培った背景が、
エニアグラムにより紐解かれ、明らかにされていく。
ただ、それだけのことなのに、苦しいと感じるのは、
それが、素敵でも美しくもないものだったから、だと思う。

醜い自分が明らかにされるのだもの。好ましいわけがない。
自分が自分として生きる為に・・・自己肯定をする為に、
どれだけ取り繕い、責任転嫁と自己正当化を重ねて生きてきたのか。
それを知り、受け入れなければ、先に進めないから、ね。
そりゃ苦しいさ。

だけど私は、苦しいと言いながら、エニアを楽しんでいる。
だって、私だもの。
楽しくなければ、続かない。

自分を知るのが、楽しい。
自分の人生に、まだ開けるかもしれない、可能性が楽しい。
物事は、目的と定めたら達成することができるけれども、
自分という人間を知り尽くし、極めるのにゴールなどない。
たどり着けないから、追いかける。追いかけるから、面白い。
これも 《T3らしさ》 なんでしょうね。
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